秋になったと思いだしたら、急に朝夕が冷え込んで来ましたね!また琉球石灰岩には関係ないお話です😅

query_builder 2023/10/27
エクステリア琉球石灰岩
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今回は以前に取り上げました尚巴志に続いて琉球史にその名を残す護佐丸『ごさまる』のご案内です、この人も沖縄好きなら知っておかないといけない人ですよね!

メチャ詳しくはご案内できませんが略歴程度になります😅

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護佐丸は琉球王国を成立させた尚巴志(しょうはし)に仕え、琉球王国統一に向けて、尚巴志と共に戦った「北山討伐」で武功をあげました。その後、今帰仁(なきじん)グスク、座喜味グスク、中城(なかぐすく)グスク、と3つのグスクの城主となります。「築城の天才」と言われ、その晩年を迎えた中城グスクの遺跡では、彼の築城技術のレベルの高さをうかがい知ることができます。

この写真は中城城址です。

そして6代の王に仕えたことでも知られ、その忠義心の厚さに人柄を偲ぶことができますね!

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1390年頃、山田グスク按司の三男として生まれました。

幼いころの名前は眞牛(まうし)と呼ばれていたようです。彼の先祖は、元々は北山の今帰仁按司で、戦に敗れ山田グスク按司となりました。そして、彼が青年期の時に、運命の時が訪れます。一族の宿敵とも言える今帰仁グスク按司・攀安知(はんあんち)を討伐する機会を得ました。それは、琉球王国統一の為の戦いでした。中山軍に参加し、当時仕えていた尚巴志と共に今帰仁グスクを攻め落としたんです!

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相次ぐ王の交代や、「志魯・布里(しろ・ふり)の乱」での首里城正殿が全焼、勝連按司・阿麻和利が勢力を高めたことで、琉球王国の情勢は一気に緊張感が高まっていました。そこで6代目の王・尚泰久は即位後、安定を図るため、自身の娘であり護佐丸の孫にあたる百十踏揚(ももとふみあがり)を阿麻和利へ嫁がせるなどしていましたが、琉球王国時代最大の謎と言われている「護佐丸・阿麻和利の乱」が起きてしまいます。

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護佐丸の晩年は悲しいものだったと言われています。

中秋の宴の最中に阿麻和利が率いる王府軍が中城城に攻めてきたと伝えられています。慌てた家臣たちは護佐丸に応戦することを願いでましたが、攻めてきた軍隊の中に王府の旗を確認すると「王に逆らうことはできない」として、応戦することはなかったようです。護佐丸は王への忠義を尽くし、謀反の心もなかったので妻子とともに自害したとのことです。

この様に琉球史は実にドラマチックなお話です!

私たち沖縄ガーデンもドラマチックに日本石材史にその名を残そうとしています😅

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