日本全土が極寒の日々になりましたね😑沖縄以外‼️沖縄の歴史はいよいよ日本唯一の地上戦に巻き込まれて行きます。

query_builder 2025/02/04
エクステリア玄関内装外壁琉球石灰岩
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全国的にとっても寒い日が続いてますけどお元気ですか?風邪ひかないようにお互いに頑張りましょうね‼️

沖縄県となって重税に苦しみながらもわずかな平和を感じる日々を送っていましたが、沖縄には日本の国土としては唯一の地上戦が始まろうとしていました。

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米軍は、1945年3月26日に慶良間諸島、次いで4月1日には沖縄本島に上陸し、沖縄戦がはじまりました。
沖縄上陸と同時に、米軍は日本の権限停止と占領の開始を告げる布告を公布しました。
この布告は、「米国太平洋艦隊及び太平洋区域司令長官兼南西諸島及其近海軍政府総長」の肩書をもつC・W・ニミッツの名で発せられたため、「ニミッツ布告」と呼ばれています。

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まず読谷山村渡具知海岸付近(読谷-嘉手納-北谷にかけての海岸線)に艦船約1400~1500隻、兵員約18万3000人をもって沖縄上陸作戦を展開しました。米軍上陸部隊は、第6海兵師団・第1海兵師団・第7歩兵師団・第96歩兵師団の4個師団で、日本軍の大きな抵抗もなくその日のうちに北飛行場(読谷)と中飛行場(北谷)を占領、3日目には沖縄島を南北に分断するほど進撃しました。

 日本本土防衛の最後の〈砦〉とされた沖縄では、日米両軍による激しい戦闘が繰り広げられ、日米双方で20万人もが命を落とし、県民も約4人に1人が犠牲になりました。

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日本軍と沖縄の人たちは米軍の侵攻から逃れ南部へ南部へと悲惨な逃避を強いられます。やがて摩文仁へ撤退はしたものの、日本軍はすでに主力の大半を失っており、6月20日前後には軍の組織的抵抗はほとんどなくなったといわれています。やがて、6月22日(23日)、牛島満軍司令官と長勇参謀長は摩文仁岳中腹の司令部壕内で自決。

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同年9月7日に南西諸島の全日本軍を代表して、宮古島から第28師団(豊部隊)の納見敏郎中将のほか、奄美大島から高田利貞陸軍少将、加藤唯男海軍少将らが参列し、米軍に対して琉球列島の全日本軍は無条件降伏を受け入れる旨を記した降伏文書に署名しました。

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この「沖縄戦」によってなくなった人は、沖縄の住民9万4,000人、沖縄出身者もふくむ日本軍約9万4,136人、アメリカ軍1万2,520人といわれます。


沖縄県では、6月23日を「慰霊の日」とし、戦争でなくなったすべての人のめい福と世界の平和を願い、各地で「慰霊祭(いれいさい)」を行います。


終戦によって沖縄に平和な日々が訪れた訳ではありません。アメリカ支配の苦しい日々が訪れます。

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長く苦しい戦争の日々を乗り越えた沖縄には今度はアメリカ統治という新しい苦難の日々が待っていました。

次回は戦後の沖縄の苦難をお伝えします。

今年は7月に『ジャングリア』のグランドオープンが決定しましたね、楽しみですね、詳細が分かったらまたお伝えしますね‼️

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