朝夕の寒さも少~しだけ緩んだ感じですかね?来月は本州の桜が開花しますよ!今回のブログは沖縄の歴史の補足としてちょっとだけディープなお話しです‼️

query_builder 2025/02/17
エクステリア玄関内装外壁琉球石灰岩
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これは今年2025年の全国桜前線地図ですみなさんのお住まいはいつ頃ですか?また海外の日本旅行を考えているみなさんはこの地図に合わせて日本にお越しください。素晴らしい桜がご覧頂けますよ‼️


前回沖縄の波乱の歴史の中でとっても大事な存在はウチナー女性だったってお話ししましたけど、オバーの次くらいに沖縄の裏歴史に忘れてはならないのはジュリの存在です。

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「ジュリ」って知っていましたか?

沖縄の長い歴史の中で忘れてならないのがこのジュリの存在なんです。

ジュリは沖縄の遊女、女郎をさす言葉なんです。

那覇市の辻(つじ)や仲島、渡地(わたんじ)は遊廓(ゆうかく)として発展していましたが、ジュリはそこの遊女をさしていました。

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辻の女性は「ジュリ」と呼ばれ、漢字では「尾類」の字が当てられていました。(読めませんよね😅)
 琉球王国におけるジュリの起源については不明ですが、貧しい農村や漁村の娘さん達、借金のかたにジュリになっていったと言われています。

15世紀以降、唐(とう)や南蛮(なんばん)(東南アジア諸国)、大和(日本)と交易を行った時代、中国からの冊封使一行や大和からの商人等をもてなしていたのが「ジュリ」でした。

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本州吉原の女郎と大きく違うのは借金を返してしまうとジュリとしての拘束が解かれ自由な身となれた事です。

沖縄が島だった為逃亡の恐れが非常に少なかったのか、普段から比較的自由に外出出来ていたようです。

南国育ちの人柄からか本州の女郎のような暗さは少なくて比較的明るい雰囲気が漂う花街だったようです。


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ジュリの存在は沖縄県になっても続いていきます、貧しい生活の中で家族の生活を支える為には自分が犠牲になっても構わないというウチナー女性の逞しさがあったのだと思います。

辛くて悲しい沖縄戦の後アメリカ統治の間も米兵の性の捌け口として沖縄の裏歴史において大事な存在になっていました。

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沖縄には毎年二十日正月(ハチカソーグヮチ)という正月の祝い納めをする伝統があります。

「ジュリ」達の事を忘れてはならないと那覇市の辻町一帯で「ジュリ馬行列祭り」を見ることができます。

その昔、ジュリ馬行列は、辻の各遊郭から選ばれたジュリたちが、華やかに着飾り、馬の頭の飾りものをつけ、 「ユイユイ」と威勢よく声をあげながら、道路を練り歩くお祭りのことです。かつては「那覇大綱挽き」「那覇ハーリー」と並んで那覇三大祭と呼ばれていましたが、1988年を最後に公娼制度を認めるものとして女性団体から反発され、以来1999年までの12年間途絶えていました。しかし地域の人から「伝統を継承していく義務があるし、地域の活性化にもつながる」との声が上がり、辻町を宣伝することで観光客誘致にもつながるとして2000年に復活、現在では保存会がジュリ馬行列を行っています‼️


これからの日本は沖縄のオバーやジュリのように強く逞しい女性がリーダーとなって、頼りない首相や政治家達から主権を奪い取り女性パワーで日本を引っ張って行くそんな時代になって行って欲しいものですね❣️😊


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